挑戦記 2004

〜 Road to Policy School 〜

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ちょっと前に学んで、思い出したこと。

今日は、正統性について。

ガバナンスだなんだと本を読んだり、考えていると、
かならずぶち当たります「正統(当)性」。

「正統性」と「正当性」で意味が違うのか、
公的機関以外の行為の「正統性」はどう確保するのか、
 →ちょっと脱線すると、前に話題にだしたことも
  あるマスコミの知る権利の正統性なんかも
  ですね。

こんな文脈で多く使われています。
文脈を考えて使い分けたりしてたのですが。
これって学校で発表するときなんかに困るんですよ。

さて、そんな「正統(当)性」ですが、この間も
困っていたところ、ある先生が一言。

「意識するのは悪いことじゃないけど、そこまで
 こだわらなくてもよいよ。
 結局は、正統(当)性が意味するものが、
 権力の行使(法律とか公的性格なんかを背景に、
 人々にある行為を強いること)だってことを
 抑えておけばいいから」


目からうろこの指摘でしたね。
正統性というきれいなイメージの言葉の裏が
そんなだったとは。でも、すごくしっくり
きました。

確かに、そうなんですよね。
法律も徴税もみんな「○○しちゃいけない」
「○○しなければいけない」という形で
行為を守らせていますもの。
それ以外のことをする権利を対象者から奪って
いるという意味では正に権力の行使だな、と。
そして、それを支えるのが「正統(当)性」と。

ついでに、その先生はちょっと前に「生煮えの公共」
ということもおっしゃっていました。
ガバナンスの話だと、公的機関だけが公共を担う
のではない、となる。
けれども、現実をみるとそうもきれいにはいかない。
制度的には最終的に公共性を判定するのは司法機関。
その前のわかりやすい話だと、権力の行使の話も
踏まえて、立法・行政機関が予算をつけたとき
になる。

そうすると、対象者の間で共通の必要性が認め
られて、共同で解決に当たっているけど、
公的機関から金銭的支援なんかを受けていない
団体は公共性を持たないことになる。

そういう、なんとなくよくわからない場所を
「生煮えの公共」と(自分は)呼んでいて、
広めようとしているのだよ〜、と。

机上の話だと、「へっ!?」となる指摘ですが、
現場を想定するとまさにそうだなぁ、と。

机上の営みと現場の営み。
どちらも大事で、片方だけに偏ったらいけないな、
と気づかせてくれる一連のお話でした。
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